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【自伝】俺がプロレスを好きになった理由 その①

 
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幼い頃、お正月や夏休みになると母の実家に里帰りして数日過ごすのだが、そこでは金曜になるとおじいちゃんとテレビでプロレスを観戦するきまりになっていた。

普段は父や母が「あんな野蛮なものは見ちゃダメ」なんて言って一度も見せてはくれないのに、なぜかその時だけは許可がおりるのだった。

そういえば、ドリフの『8時だよ! 全員集合』も、「下品だ」という理由で自宅ではぜんぜん見せてもらえないけど、おじいちゃんちでは規制がほんの少しユルくなって見ることができる。

父は休暇中でいつもお酒を飲んでいたし、母にとっては居心地の良い実家ということで、ほんの少しだけ「教育モード」が解けていたのかもしれない。

俺はまだちっちゃい5歳とか6歳とかそこらの年齢で、当然のようにウルトラマンやら戦隊モノヒーローやらに夢中になっていた子供だったが、実はプロレスだけはどうしても受け付けなかった。

おじいちゃんはプロレスが好きで、アントニオ猪木を熱心に応援しており、テレビ観戦しながら孫である俺にもその魅力を語ってくれたが、ぜんぜんピンとこないし、そもそもリングで行われている丸腰丸裸のオトナ同士の闘いが怖すぎて。

ヒーローの魅力って、勧善懲悪というよりも、その火力の強さなわけで、どんな怪獣も粉々にするスペシウム光線とか、メカ同士が合体した巨大ロボットとか、まるで武装していないプロレスラーになんか子供心に魅力など感じないわけ。

つまり当時の俺にとっては、おじいちゃんと一緒に見るプロレスの時間はそれほど楽しい時間ではなかった。

「一緒に観戦しているとおじいちゃんが喜ぶから、しかたなく見ていた」というのが正直なところである。

プロレスの闘いはとても生々しく、ビームや剣と盾で闘うヒーローたちの闘いよりも凄惨に見えた。

それはもちろん、プロレスに「本物の暴力」のスリルとリアリズムがあって、子どもにもそれが容易に感じ取ることができたからだ。

逆水平チョップひとつとっても、その衝撃音と喰らった相手の反応を見れば十分 “痛み” が伝わってくる。

また、ヒーローと違い、プロレスラーは感情を全面に出してくるので、その鬼気迫る雰囲気も「オトナの見てはいけない部分」を目撃してしまったかのような “怖さ” に繋がっている。

相手に立ち向かう表情、殺気をまとった表情、痛みに耐える表情。オトナたちのそんな崖っぷちみたいな光景は、子どもたちの日常ではなかなかお目にできない世界だ。

両親が「野蛮だ」と言って子どもの閲覧を避けていた気持ちが良くわかる。

この生々しい暴力とムキダシの感情に満ちた世界観が、子どもの成長にどんな影響を及ぼすか? という部分に親として確証が持てなかったのだろう。

俺自身も、このプロレスの世界にのめりこめる自信はなかったし、こんなものを喜んで観ているおじいちゃんの姿はあまり好きではなかった。

いつも笑顔で、優しくて、怒ったところなど一度も見た事のないおじいちゃんだったけど、「プロレスが好き」という一部においてのみ、なんか自分の知っているおじいちゃんとは別人のような、おじいちゃんの隠された暴力的な一面を見ているかのような気持ちになったのだ。

 



 

さて、その10数年後、俺が高校を卒業し春からは専門学校に通うといったタイミングに、おじいちゃんは亡くなった。

とても悲しくはあったが、もはやおじいちゃんとのプロレス観戦の思い出など遠い昔すぎて無いに等しく、俺もホラー映画やバイオレンス映画を嬉々として楽しむような悪ガキに成長し、映画や恋にうつつを抜かしていた。

ところがこの年、今思えばとても不思議なのだが、専門学校で仲良くなった友人、新しく始めたバイト先の先輩、なぜか出会う人々が立て続けにプロレス好きであるという偶然に見舞われたのだ。

とはいえ、彼らに「俺はプロレス好きだ」と自己紹介をされたわけでなく、いきなり「プロレス面白いよ?」とか勧められたわけでもない。

なんとなく彼らとの会話の端々にプロレスネタのようなものを微かに感じて【あれ? いまのはプロレスの話かな?】と思うことが多々あったので気付いたという程度なのだが。

しかしそのたびに俺は、昔おじいちゃんとプロレスを見た記憶を思い起こしていた。

プロレス、そう言えばおじいちゃんが好きだったな。でも俺はそんなに好きじゃなかったんだよな。

なんてことを、学校やバイト先での彼らとのコミュニケーション中にボンヤリと考えることが多くなった。

子供心に怖かった、プロレスの生々しさ、ムキダシの感情、技を喰らって悶絶するレスラーたちの顔、そして、リング上での華麗な技の攻防。

あの頃、確かにプロレスを見るのが怖かった。でも、果たして「怖い」という感情だけだったのだろうか?

怖さと同時に、非日常な世界観、激しく戦う男たちの姿に大きな刺激を受けていたのではないだろうか?

 

思わず、確かめてみたい衝動にかられる俺。

 

幼い頃見たプロレスに、「怖さ」以外の何かを感じていた可能性を。

おじいちゃんが亡くなったその年、俺は新たな出会いの中にプロレスの存在を思い出し、自らあの頃の感情を再確認すべく行動することになる。

ある日、俺は行きつけのレンタルビデオショップに入り、何を思ったかいつも一直線に向かうホラー映画コーナーとはまるで違うルートを歩き、スポーツジャンルの棚の前に立つ。

当時は面白さをまったく感じなかった「プロレス」に、改めて触れるために。

つづく。

 

 

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